事象平原の彼方に

笑いの本質構造論 いじめの問題 コミュニケーションと力 我思う故に我あり、よりも

笑いの本質構造論

 

笑いの本質的構造について論じてみる。

笑いには色々な種類があるが、ここでは私がもっとも興味を持つ、
笑いの対象(認識対象)が、おかしくて(ナンセンスで)
声を出して笑う場合について、その際の人の笑いの本質構造について主に考える。

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--メインの解釈---------------------
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ナンセンスな(おかしな)事象に対してハハハと声を出す笑いとは、
反「生命肯定」的事象に対して、気を吐くことで精神上の「濁神」を取り去り無毒化する、という反応である。

そこでは、笑いの対象は通常、
生命的に安全の保証のあるもので、生命的に深刻ではない必要がある。

以上の事を詳細に解説する。



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--メインの解釈の説明------------------
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ここでまず、道教的、気功的、な「精気神」の概念を導入する。

「精」は、物質的な人間存在。肉体。
「気」は、気的存在。肉体(形而下体)と精神(形而上体)の媒介的存在。
「神」は、精神。
精が存在するから気が存在し、気が存在するから神が存在する。相互に密接に関連し合う存在。

笑いの構造解析で特筆すべき点は、気と神の関係が識閾(しきいき)下で極めて密着していることだろう。



ナンセンスな事象は、認識すると「生命肯定」に反した事象のため精神に「濁」(にごり)が生じる(->濁神)。
すなわち人間の命の正当性に少しでも危うさをもたらす事象と認識した場合、精神の認識構造内に「濁」が生じる。
そうすると人は無意識に濁神を精神・身体から出して元の綺麗な神に戻そうと、
横隔膜やお腹周りの筋肉を痙攣させて「気」を活性化させてハハハと呼気として出すことで、
呼「気」につられて連結して濁神を形而上的レベルにおいて排出するのである。
これが笑いの本質構造論である。

先に述べた、「笑いの事象は通常、生命的に安全の保証のあるもので、生命的に深刻ではない必要がある。」というのは、
笑いの対象の「反生命肯定的」事象のうちでも、病気や死やケガなどは笑いにはならないからである。
何故か?まず笑うというのは事象を受容している「快」の反応であり、事象を快のものと認識していること、
そしてハハハと笑うのは快である上にその人の内部の気のレベルを下げ、
事象に対し油断してもいい・気楽な態度をとってもよい、
ということを表してしまうからである。
病気や死やケガなどは深刻に対応すべき事象になるため、気を引き締めておく必要がある、ということである。


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もう少し別の言い回しで説明してみよう。


ナンセンスが面白いのは、
ナンセンスは正論(=生命肯定構造論理)の否定
だからである。

目と耳で見聞きした世界を脳内で認識世界として再構築する。
その認識世界にどのような意味があるのか意味付けする作業も、人は無意識にする。

その意味世界の中に、
「反「生命肯定」的事象」
すなわち人間の健全な生命に危うさをもたらす事象がある場合、
しかも安全の保証のある場合に、
人は笑う。

何故か?
「反「生命肯定」的事象」
は認識の深層の精気神の内の精神層で「濁」なのである。
そこでそれを無毒化する必要がある。
そこで無意識に腹を動かし(腹筋と横隔膜筋周りの痙攣動作をし)
気を活発化・活性化させ、痙攣して気を吐く。
このとき吐いた気と同調してその人からは「濁神」が抜け出ていく。
腹を動かすのは快であり腹周りの血流の増加も快であり、
「濁神」が抜け出るのも快である。
だから笑いにおいては気分がよくなる。
その人の「神」も「気」も「濁」から本来の生来の「純」の
方向に変わっていく。



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どうしてこのような笑いの構造を人が有することになったのか、という議論は、
進化論的、発達論的、文化人類学的などの議論となるのであろうが、それは私の能力を超えるため述べられない。



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他の笑いについてのパターンも少し解析して考えてみる。


似た言葉、しゃれ、についての笑い、
発見などでの笑い、
意外性についての笑い、

これらは新奇性の認識時に快と感じて笑う場合である。「濁神」とは関係ないように思える。
外界世界への適応行動に合致していると感じて自己世界の拡大と感じ神経強化のために快の感情を増大させるのか?
自己世界の拡大に対する反応として快の笑みが自然に出て、快が大きいと気が増加し呼気のもれ出る反応か。
上記の「おかしさに対する笑い」とはだいぶ構造が異なるようだが実際笑い声の大きさも小さい傾向があるだろう。



コミュニケーションにおける笑顔について。相手を受容しそれが「快」であると表情で分からせているのである。

コミュニケーションにおいてさらにハハハと笑うことについて。いま述べたように、
相手が快の存在と認め、敵意なくある程度は防御レベルを下げ心を許していますよ、というシグナルである。
呼気を出して笑うレベルでは、相手に対し気をためて何か企むのではなく、
気を吐いて出せるほど防御レベルが低く相手に気を許している事を、コミュニケーションの中で表すシグナルである。

コミュニケーションにおける相手や、レベルの低いナンセンスに対して、ムスッとして笑いもせず笑顔にもならない人は、
心理的障壁により対象を受容していない、ということである。また、気のレベルを下げずに油断したくない、ということでもある。



ナンセンスに対してでなく、楽しい時・うれしい時に笑うのは、気のエネルギーが満ちあふれて呼気となるのである。



フィクション(小説・ドラマなど)で悪役が多くの場合、口元に笑みを浮かべ「ヒヒヒ」と笑うのは、
悪役の精神に反「生命肯定」的思考内容があり自動的に「濁神」となるため、精神が安全装置として気を緩ませ出し呼気として笑うのである、と考える。
悪役は人に対し「優越感の笑い」を持っている、とも考えられる。
しかしフィクションで笑みを浮かべたり笑ったりしない悪役には、気の緩み=油断、が感じられないため、より厄介な敵として感じられる。
実際の犯罪者も、犯罪の実行までに気の緩みなどあることは少なく、笑ってなどいない場合が殆どであろう。



笑いが身体の健康に良い、というのは、(ラフターヨガなど)
横隔膜やお腹周りの筋肉を痙攣させて「気」を活性化させる作用と「濁気」を排出する作用を重視しているのだろう。
それにより「濁気」と共に「濁神」「濁精」は排出され、クリーンになり心身は活性化・清浄化する。


但し、受験や競技などで気を引き締めなければならないときは、人は笑ってなどいられない。
受験や競技などのための前提として、努力して、気と精神のレベルを高めておかなければならない。
笑いはそこでは不要である。


傍系の笑いの考察は以上くらいか。

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~この笑いの構造理論構築の背景~
若い時から自動的・無意識にハハハと笑うことの構造・メカニズム(「何故笑うのか?」)に興味があったが、
それを明快に説明する本・説明などは見当たらなかった。
妙に観念的だったりまわりくどく分類したり周辺の事を論じたりしていて、本質にくい込む説明は少ないようである。
それで自分で考えようと思い、自分の内側に入り込み深く考え、以上のような笑いの構造理論での説明を試みた。
それはもうかなり昔のことで、それで自己満足して誰にも言わずにいたが、
私のように笑いの構造に疑問を持った人のためになるかと思い、ブログででも書き記し遺しておこう、と書いてみた次第である。
以上の理論が全く正しいとは思わないが、今まで通りの他の説よりはだいぶ本質に近づいた説になっていると思う。

笑いは他にもいろいろな場面・パターンもあるため以上に述べたところから漏れたり離れている場面・パターンも多くあるだろう。


このような考えが正しいかどうかは、各々が一旦は沈思黙考し、内観し、自分の内部感覚に照らして判断する必要があるだろう。

以上。

 

 

2021/05/12(水)以下を追加(2021/06/12(土)一部修正、2022/01/09(日)一部追加):

「笑い エントロピー 生命力」

「おかしさ・可笑しさ」の定義は難しいと思うが、
「反「生命肯定」的論理」の場合以外に、
認識上の「意外性、ズレ、微分不可能的な論理の飛躍」の場合もある。
そこでも精神上の「濁り」が生じる場合である、として以下同様な論理展開・・・。

認識上の「意外性、ズレ、微分不可能的な論理の飛躍」の場合とは、
しゃれ、駄洒落、新奇性の認識、のような場合である。
そのような場合でも精神上の「濁り」が生じる場合である、
と考えることは可能だと思った。

笑いのツボは個人差が大きく、「可笑しさ」の定義は難しいと感じる。


気を出して吐くということで
精神の認識・認知上の秩序を保ち、エントロピーを低減させる。
というのが笑いの働きの一つなのだろう、と考えた。
(「笑い エントロピー」でググる
2021/05/12(水)現在、長谷川晃氏が
「笑いは体のエントロピーの増加を防ぐ」と論じているが
私の方は「笑いは精神認識(神経)のエントロピーを低減させる」
という点で少し異なる。)

(「笑い エントロピー」をBingで検索すると
永井俊哉氏のサイトが上位に表示され、
私が2021年に発想したのに対して、
2003年に既に書かれている。
そちらを知らずに独立して同様の
エントロピー関係の論理になったことは興味深い。
そちらのサイトのいろいろな論理も
正しそうで有意義で、見ていない人は見るべきと思う。
何故Google検索では上位に来ないのだろう?
2022/01/09(日)追加の文章。)

笑いの働き:「認識対象を心に受け入れやすくする。」
->笑いによるエントロピーの低減
->生命上有利な効果
->適応能力の向上

適応行動として有利だから、人は笑顔の多い人に
魅力を感じるのだろう。

 

以上。