事象平原の彼方に

笑いの本質構造論 いじめの問題 コミュニケーションと力 我思う故に我あり、よりも

アンゴルモアの大王

自分的には「Angolmois」(アンゴルモア)を

「AngelMore」(エンジェルモア:天使よもっと)と

1999年より前から解釈していたが、当然何も起きなかった。

 

しかしネットでもAngelMoreとの解釈が皆無のようなので

ここに書いておくことにする。

 

新世紀エヴァンゲリオン的に解釈を広げると、

使徒(Angel)のような存在が次々と(More)現れる、

という現象になるのか。

 

2020/05/15(金)に、「Angolmois」の綴りと「エンジェルモア」の片仮名表記を追加。


以下のように文章追加などの修正:(2022/07/30(土))

1999年以前に公にしなかったのはブログのような匿名で広い公の場がなかったことと、
雑誌などに投稿するにしても、「何かが起きる」側の人間になりたくなかった、
その側に加担したくなかったからである。
自分は慎重な方の人間だと思っている。
まあ「エンジェルモア」の視点は今になってみれば
それ程目新しい連想とも思えず、
小学生でも思い付いていた人がいるかもしれない。
ただ「公の場に残す」ことに意味を感じた。

新世紀エヴァンゲリオンとのリンク解釈は
21世紀になってからだったかもしれないと思う。
1999年以前にTVや
映画(酷くグロくてトラウマのようになったもの)
を見ていたけど。
シン~で終わって、俯瞰してみても、
内容がイマイチよく分からないアニメだったように感じる。
画力・迫力は凄いとは思うけれど。